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​藤田嗣治

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​売却・査定・お見積り

ご検討の方は、高価買取で実績のある靖山画廊へご相談ください。

​ フランスで活躍し、日本でも評価されている藤田嗣治。

油彩、水彩、版画、デッサンなど、どの作品も高額で取引される傾向にあります。

先ずは、お売りになる前に顧客満足度が高く「査定・買取」で実績のある靖山画廊にご相談下さい。

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<総落札額>
約163憶6,300万円
(約1億5,274万ドル)
​総落札点数 7,331点
<レコード>
「La fête d'anniversaire」
 1949年油彩76.5×101.7㎝
約​8億8,200万円
​​ボナムスロンドン2018年10月11日
​ 藤田嗣治(1886-1968)は、2018年に「La fête d'anniversaire」油彩76.5×101.7㎝約​8億8,200万円
(ボナムスロンドン)で落札されました。
​・調査方法:対象は、2007年以降の日本のオークションで1,000万円以上で作品が落札されている作家、05年以降のクリスティーズ香港および08年以降のサザビーズ香港で5万香港ドル以上で作品が落札されている作家とした。「ArtPrice」で公開されているデータを使用し、各作家の00~19年の総落札額と最高落札額を集計。上位50名をランキング形式で表記した。
・総落札額はArtPriceSで表示されるドルの数値に従い、日本円への換算レートは2000~18年の各年の終値の平均値107.13円を用いた。一方、各ロットの落札価格の日本円換算は、セールが行われた年の終値(ただし19年のものは、18年の終値)を用い、順位はドルでの数値に従った。なお、各年の終値は以下の通り。
00年=114.27円、01年=131.63円、02年=118.74円、03年=107.33円、04年=102.45円、05年=117.92円、06年=119.01円、07年=111.49円、08年=90.60円、09年=92.90円、10年=81.15円、11年=76.94円、12年=86.74円、13年=105.30円、14年=119.68円、15年=120.30円、16年=116.87円、17年=112.67円、18年=109.56円。
・図版は作家の最近の落札作品。
・特に明記のない場合、支持体はキャンバス。
​月刊アートコレクターズ2019年5月号No.122「世界のオークション!日本人作家の総落札額ランキングTOP50」より

藤田 嗣治/レオナール・フジタ(ふじた つぐはる)

 

<1886年>

 東京に生まれる。

<1905年>

 東京美術学校(現在の東京藝術大学美術学部)に入学。

<1913年>

 単身海路にてパリに発つ。モジリアーニ、スーチン、ピカソ、キスリングらと交友を結ぶ。

<1919年>

 サロン・ドートンヌに出品し全作品入選、会員に推挙される。

<1921年>

 サロン・ドードンヌ審査委員となり、エコール・ド・パリの有力作家となる。

<1926年>

 1924年制作「友情」をフランス政府が購入、リュックサンブール美術館に収蔵する。

<1927年>

 ルーヴル美術館が藤田嗣治の腐食銅版画の原板を収蔵する。

<1929年>

 日本に一時帰国。東京で盛大な個展を開催し、大成功を収める。

 20年代中頃から版画制作を開始。銅版画作品「猫十態」「子供十態」を制作。

<1931年>

 ブラジルに向けて旅立つ。リオ・デ・ジャネイロで個展を開催。

<1934年>

 中南米旅行中に制作した作品を中心に、銀座で個展を開催。

<1936年>

 堀内君代さんと結婚。随筆集「腕一本」を刊行する。

<1939年>

 君代夫人とともに横浜からアメリカ経由でフランスに発つ。

<1940年>

 パリから帰国。

<1942年>

 戦争記録画作成のため、陸軍省は藤田嗣治ら16名の画家の戦地への派遣を決定。

<1943年>

 朝日文化賞受章

<1949年>

 「絵描きは絵だけ描いてください。仲間喧嘩をしないでください。日本画壇は早く世界的水準になってください」という言葉を残して、羽田空港から渡米する。

<1951年>

 65歳の誕生日を記念して銅版画「魅せられし河」を制作。

<1955年>

 フランス国籍を取得し、正式にパリ市民となる。

<1957年>

 レジオン・ドヌール四等勲章を贈られる。

<1959年>

 ランスの大聖堂で夫妻ともどもカトリックの洗礼を受ける。

 藤田はレオナール、夫人はマリー=アンジュ=クレールと改名する。

 レオナール・フジタとしての第一作「聖母子像」を同寺院に寄贈する。

<1960年>

 伊勢丹新宿店で「藤田嗣治展」が開催される。木版画「小さな職人」を制作。

<1963年>

 リトグラフ(石版画)「四十雀」を制作。

<1966年>

 2月末から礼拝堂の建設が始まり、6月に完成する。その後フレスコ画の制作にとりかかり、8月31日完成し「ノートル=ダム・ド・ラペ(平和の聖母)」と命名される。

<1968年>

 チューリッヒの病院で81歳にて没。日本政府より勲一等瑞宝章を追贈される。