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<総落札額>
約16憶2,000万円
(約1,512万ドル)
総落札点数 353点
<レコード>
「神嶺不二山」
1946年紙本彩色67.8×96.3㎝5,200万円
シンワ2012年11月17日
横山大観(1868-1958)は、2012年に「神嶺不二山」1946年紙本彩色67.8×96.3㎝5,200万円(シンワ)で落札されました。また、2018年に「神州乃正氣」1947年紙本彩色、額装58.0×75.5㎝2,000万円(アイアート)で落札されました。
・調査方法:対象は、2007年以降の日本のオークションで1,000万円以上で作品が落札されている作家、05年以降のクリスティーズ香港および08年以降のサザビーズ香港で5万香港ドル以上で作品が落札されている作家とした。「ArtPrice」で公開されているデータを使用し、各作家の00~19年の総落札額と最高落札額を集計。上位50名をランキング形式で表記した。
・総落札額はArtPriceSで表示されるドルの数値に従い、日本円への換算レートは2000~18年の各年の終値の平均値107.13円を用いた。一方、各ロットの落札価格の日本円換算は、セールが行われた年の終値(ただし19年のものは、18年の終値)を用い、順位はドルでの数値に従った。なお、各年の終値は以下の通り。
00年=114.27円、01年=131.63円、02年=118.74円、03年=107.33円、04年=102.45円、05年=117.92円、06年=119.01円、07年=111.49円、08年=90.60円、09年=92.90円、10年=81.15円、11年=76.94円、12年=86.74円、13年=105.30円、14年=119.68円、15年=120.30円、16年=116.87円、17年=112.67円、18年=109.56円。
・図版は作家の最近の落札作品。
・特に明記のない場合、支持体はキャンバス。
月刊アートコレクターズ2019年5月号No.122「世界のオークション!日本人作家の総落札額ランキングTOP50」より
横山 大観 (よこやま たいかん)
<1867年>
水戸市に生まれる。水戸藩士酒井捨彦の長男
<1885年>
私立東京英語学校に入学、傍ら渡辺文三郎に鉛筆画を学ぶ。
母方の姻戚横山家を継ぎ、姓を横山と改める。結城正明につき毛筆画を学ぶ。
東京美術学校創立事務所に狩野芳崖を訪ねて教えを受ける。
<1889年>
東京美術学校第一回生として入学。
<1893年>
東京美術学校卒業。
<1895年>
京都市立美術工芸学校助教諭に就任。
<1896年>
京都市立美術工芸学校退職、東京美術学校助教授。
<1897年>
第二回絵画共進会「無我」(銅牌)出品。
<1898年>
東京美術学校助教授辞職。日本美術院正員。
第五回絵画共進会「屈原」(銀牌一席)出品。
<1899年>
第七回絵画共進会「夏日四題」(銅牌)出品。
<1900年>
第八回、九回絵画共進会「長城」(銀牌)「木蘭」(銀牌一席)を出品。
春草と沿線主彩描法を以って臨む。
<1901年>
春草と九州・北陸各地へ写生旅行。
<1902年>
第一二回、一三回絵画共進会「茶々渕」(銀牌)「迷児」(銀牌)出品。
春草と共にインドに出発、カルカッタで作品展。
第一五回絵画共進会「釈迦父に逢う」(銀賞一席)出品。
<1904年>
春草らと共に渡米、ニューヨーク・ボストンで作品展を開く。
<1905年>
春草とイギリスに渡る。ロンドン・ベルリン・パリで作品展を開く。
帰国後春草と連名で「絵画に就いて」の論文発表。
<1906年>
ロンドン・パリ展覧会出品画を日本橋クラブに展覧。
<1907年>
文展審査委員。国画玉成会評議員。
<1909年>
第九回巽画会審査員。第三回文部省美術展覧会「流燈」出品。
<1910年>
寺崎広業らと中国に出発。第四回文部省美術展覧会「楚水の巻」出品。
<1914年>
日本美術院を再興。
<1923年>
第十回院展「生々流転」出品。
<1924年>
観山、鞆音、玉堂、栖鳳、春拳らと淡交会結成。
<1930年>
イタリアに美術使節として出発。
<1935年>
靫彦、古径、青邨、渓仙と共に帝国美術院会員となる。
<1937年>
文化勲章を受ける。
<1940年>
紀元二千六百年奉祝記念展に「山に因む十題・海に因む十題」を出品。
<1946年>
日展審査員となる。
<1949年>
第三十三回院展「瀟湘夜雨」出品。
<1952年>
第三十七回院展「或る日の太平洋」出品。
<1955年>
第四十回院展「風蕭々兮易水寒」出品。
<1957年>
作品「不二」絶筆。
<1958年>
死去。享年90歳。
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